河鍋暁斎(かわなべ きょうさい 1831.5.18~1889.4.26)
江戸時代から明治時代に活躍した天才絵師・日本画家。
1837年6歳で浮世絵師・歌川国芳に師事、絵の基本を習う。
1840年狩野派の絵師・前田洞和に師事。
洞和は暁斎を「絵のうまい子供」として、画鬼と呼んでいたと
いう逸話もある。
1858年異例の若さで、独立を果たし惺々狂斎(せいせいきょうさい)
の画号で描き始め、戯画・風刺画で人気画師となる。
明治になり、河鍋狂斎として名が広まるが、1870年の書画会で描いた
絵が、政府批判に当たるとして、逮捕され牢に入れられる。
放免されてからは、名前を 狂斎から暁斎に改める。
生前の暁斎は、相手の出自・身分に関わらず、広く多くの人々と交流をし
1881年には、鹿鳴館・三菱一号館・ニコライ堂の設計者としても有名
なイギリス人建築家・ジョサイア・コンドルが、暁斎に弟子入りし日本画
を学んでいる。
2人はとても交流が深く、頻繁に各地へ写生旅行にも出かけている。
コンドルの画号は「暁英」。
暁斎の臨終にも立ち会っている。
旧東京美術学校(現東京芸術大学)の教授を頼まれるが果たせず、188
9年に生涯を終える。